その日の深夜、リックは上機嫌で格納庫に向かっていた。
なぜこんなにも上機嫌かというと、先ほど整備士達から全ての機体の整備が終わったと告げられたためだ。
その言葉を聞いたリックはヘトヘトになった整備士たちに「お疲れさん!!」と愛想を振り撒きながらも、頭の中は飛行機のことでいっぱいになっていた。
本来ならば寝ている時間だが、思わずパジャマの上にジャケットを羽織って飛び出してきてしまった。冷たい空気に白い息が出ようともお構いなしだ。
もちろん、出撃命令が出ていないのに勝手に飛ぶわけにはいかない。(なお、リックは過去にそれを破った前科があるが、あれは特殊な状況だったと心の中で言い訳することにしている。)
しかし明日の出撃に備えて、愛機の様子をチェックしておくのが将来の撃墜王としての努めである。
だがそこには先客がいた。
「げっ、ロードじゃんか」
リックの声に反応して、ロードがゆっくりと振り向いた。
パイロットにしては高めの身長に、夜に溶け込むような黒い髪と瞳。
基地でこの特徴を持つのはロードしかいない。
彼は格納庫を入ってすぐの場所で、上着のポケットに手を突っ込んで立っていた。
「何してんだよオメー。今日は会議漬けで大変だったってパードレから聞いたぞ」
「整備が終わったと聞いたから、キャメルの様子を見にきただけだ」
「……あっそ」
リックは微妙に気恥ずかしい気持ちになった。
以前、パードレだったか。お前たちは似たもの同士だと指摘されたことを思い出す。
「で、整備の様子はどうだったよ?」
「まあ、及第点だろうな」
「お前ほんと偉そうだよな。よくやってくれてありがたいとか言えないのかよ?」
「あんなに時間をかけておいて、適当にやられていては困る」
「……それはそうだけどさ」
リックはロードの顔をしげしげと眺めた。どうも今日は余裕が無いというか、ものの言い方に棘がある。
「……会議でムカつくようなことでもあったのか?」
「別に。あったとしても貴様には関係ないだろう」
ぶっきらぼうな言い草に、リックはさすがにムッとしてしまう。
「んだよ、人がせっかく心配してやってんのにかわいくねーヤツ!!」
可愛げのないロードは無視して、リックは愛機の元にスキップしながら歩いていった。
整備を終えた機体は誇らしげで、ピロシキが描いた下手くそなヒヨコマークが、月明かりの下ピカピカに輝いてみえる。
「明日からまた頼むぜ、シャーロット!」
ほぼ1日ぶりの再会に、リックは嬉しそうにスパッドの横腹を撫でた。
本当は頬擦りでもしたい気分だが、やかましい奴が近くにいるので今はやめておこう。
そのまま翼や座席などの様子も確認し、満足したところでリックが踵を返すと、いつの間にか背後にロードが立っていた。
ぎゃっとリックは悲鳴を上げて飛び上がる。暗いので、やたらと背の高いロードは妙な迫力がある。
「びびびっくりさせんじゃねーよ!!今日は別にスパッドにキスとかしてねーぞ!!」
「……誰もそんなことは聞いてない」
「じゃあなんなんだよ!!キャメルの整備大丈夫ならさっさと帰れば良いじゃん」
よく見れば、ロードの服装はこんな時間だというのに制服姿だ。よっぽど仕事が忙しかったのだろうか。
「貴様、新兵と随分と仲良くなったようだな」
「……へ?……しんぺい……?ああ、あのイギリス人の」
リックの頭の中に、あの人の良さそうな青年の顔がぼやぼやと浮かぶ。
飛行機のことで頭がいっぱいになっていたので、昼間の出来事などは既に頭から抜け落ちていた。
「アメリカ行ったことあるとかいうからさ、話が盛り上がったんだよな。確かに良いやつだったぜ」
「以前にイギリス人は嫌いだとかなんとかほざいていなかったか」
「はあ?おれが嫌いなのは、目の前にいるような横暴なイギリス野郎だけだっつーの!つか、お前さっきからしつけーぞ。何?ヤキモチでも焼いてんの?」
リックはため息をついて、冗談めかして言う。
全く持って本気の言葉ではなかった。が、
「……」
ロードが急に押し黙ってしまった。
反論もせず、バツが悪そうに目を逸らしてしまう。
「……えっ?」
ロードの思いがけない反応に、リックはポカンと口を開けて首を傾げた。
その数秒後にその意味を改めて理解して、赤面する。
「は、何、いや、マジで?」
リックは狼狽えた様子でロードの顔色を伺おうとするが、相変わらず目を合わせようとしない。リックが顔を覗き込もうとすると、反対方向に顔を背けてしまう。何回かその子供じみた攻防が続いた。これは、肯定していると捉えて良いのだろうか。
全く素直じゃ無い。リックは段々と目の前の男に対して、妙な愛おしさの様なものが腹の底から込み上げてくるのを感じた。
その事実に気づいてしまったお陰で、自分の頬は随分と熱くなっているのだが、ロードはどうだろうか。
いつもは憎たらしくてたまらない相手だが、今日に限っては暗くて顔がよく見えないのが惜しい。
「あのさあ、オレ、訂正するわ」
「……何をだ」
「お前意外とかわいいとこあんのな」
「……やかましい」
* * *
「ばか、どこ触ってんだ」
ロードがようやく唇を離すと、格納庫の壁に背中を押し付けられた状態でリックが小さく抗議の声を上げる。
その声によって、服の隙間を滑り込んできたロードの手が、ぴたりと止まった。
羽織っていたジャケットをその辺りに放り投げられて寒いからか、リックはふるりと身体を震わせた。
「どこって、腰だが」
「何開き直ってんだよ!!……人が来たらやばいだろ」
「貴様が黙ってれば大丈夫だろ」
「……お前今色々とサイテーなこと言ったぞ」
ロードの言葉にリックの頬が赤く染まるのが見てとれた。
随分と暗いと思っていたが、月明かりのお陰だろうか。目が慣れてしまえばどうということはない。
「そういえば、お前のせいで煙草を1本無駄にしたな」
「……は?なんの話だよ?」
「……なんでもない」
リックの明るい茶色の瞳に、誰のものでもなく自分の黒い瞳が写る様が見たい。
ロードはリックの腕を引き寄せる。
脳裏で煙草の火が焼け落ちる音がジジ、と響いた気がした。
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