燻りの底に見えるのは - 1/3

飛行機に乗れない日は、なんとも退屈だ。
上からの出撃命令が出ればその限りではないが、ここ数日は奇跡的に戦況も落ち着いている(その実情は膠着状態と言うべきものだが)。
少なくとも今日に限っては、唐突に命令が出る雰囲気ではなかった。
そのため、司令官の鶴の一声で、基地が所有している機体のメンテナンスを大々的に行うことになった。
休暇を余儀なくされたパイロット達は、時間を無駄にすまいと家族に手紙を書いたり、心身を休めたりと思い思いに過ごしている。
が、そんな中でリックは格納庫を忙しなく行き交う整備士達の様子を、椅子に座ってぼんやり眺めていた。
日々のメンテナンスは大事だ。それがなければ、リック達も戦闘で本領を発揮することはできない。
(しっかし、こんなによく晴れた天気なのに、みんなよく空を飛びたくならないもんだよなあ)
いかにも飛行機バカらしい考えを頭に巡らせながら、ため息をつく。
なんだかもどかしい気持ちで、愛機のスパッドに目をやった。
三本足のヒヨコがデカデカと描かれた機体は、じっくりとメンテナンスをしてもらえてどことなく嬉しそうだ。
「あーあー!!早く飛びてえな〜!!」
リックは我慢できずに、大きな声でぼやいた。
それを聞きつけた整備士達が「なんだ、ヒヨコちゃんは我慢の限界か?」やら「いやいや、今日は割と持った方だぞ、」などと面白がって声をかけてきた。
リックも慣れたもので、「うるせー!さっさと仕事しろっての!」と舌を出して応戦する。
それを見た整備士達は、愉快そうに笑いながら遠ざかっていった。
その様子を見てリックは口を尖らせる。
「ったく、暇人かよあいつら……」
他人に言えた義理ではないが、やれ忙しいと言いながらやたら絡んでくるあたり、彼らはリックのこういった反応を楽しみにしているようだった。
リックからすれば、いつまでもヒヨコちゃん呼ばわりされていい迷惑である。

その後もリックは、飽きもせずに飛行機の整備の様子を眺めていたが、段々と腹が減ってきた。
飛行機のことは愛しているが、背に腹は変えられない。
バーにでも行くかと立ち上がりかけたところで、声をかけられた。
「君がハーレイ?」
声のした方に目を向けると、気の良さそうな青年が立っていた。見覚えのない顔だったので、最近配属された新人だろうか。
「そーだけど……?」
青年はリックの返事を聞いて、ほっとしたように顔を綻ばせた。
「人違いじゃなくてよかった!アメリカ出身のパイロットがいると聞いて話がしたくてさ」
「何?あんたもアメリカ人?」
リックは元々丸っこい目を更に丸くした。
聞けば、彼は出身でこそないものの、親の仕事の都合で長くアメリカに滞在していた事があったらしい。そのため、共通の話で盛り上がれるかもとリックを探していたようだ。
「へえ」
それを聞いて気を良くしたリックは、せっかくなので青年を食事に誘うことにした。
どうせ今日は出撃もないので、長話をするのには打ってつけだろう。
リックはようやく立ち上がって、大きく伸びをする。ふと空を見上げれば、相変わらず雲一つない快晴だった。

* * *

アメリカは非常に広大な土地を有している国なので、地域によってだいぶ雰囲気や文化も違う。
リックは「話をしたい」と言われても会話を繋げられるか正直不安だった。
しかし、幸いにも住んでいた場所が近かったため、ローカルな話題で盛り上がることができた。
声をかけてきた彼は、見た目の印象通り実に気のいい好青年だった。
おそらく随分と品の良い家庭で育ったのだろう。受け答えも物腰柔らかで、時折冗談も混ぜてくるので会話をしていて楽しかった。発音でなんとなく察していたことだが、どうも両親はイギリス人らしい。
どっかの誰かさんとは大違いだな、とアルコールでご機嫌になった頭でロードの仏頂面を思い浮かべた。
ロードは確かに実力はあるが、いかんせん他人に対してのあたりがキツすぎる。
「やっぱり人間って愛想が大事だよなあ……」
青年のいかにも穏やかそうな表情を見て、リックはしみじみと言った。
「?どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
リックは壁時計に目をやる。けっこう話し込んでしまったらしい。
「そろそろ宿舎戻るか……。付き合ってくれてサンキューな」
「いや。誘ったのはこちらだし構わないよ」
青年はそう言って微笑んだ。
(こいつ、女の子にモテるだろうなあ)
リックは思わず俗物的な考えが浮かんだ。特別美青年というわけでもないが、優しい雰囲気の顔立ちだし、おそらく自分と違って家庭を省みるタイプだろう。かなり女子ウケは良さそうだ。
だがしかし、実際に彼がモテモテ野郎だった場合、謎に悔しい気持ちが芽生えそうだったので深追いはしなかった。

そのまま2人は軽く談笑しながら、連れ立ってバーを出る。外は日も落ちかけていて、随分と周囲が薄暗くなっていた。
「足元気をつけろよ。この基地あっちこっちボロいからたまに床が抜けたりとかすんだよ」
そう言って、リックが歩き出そうとして右足を床につけると、途端にその部分だけ床板が抜けた。リックはぎゃっと悲鳴を上げてずっ転ける。
「言ったそばからこれかよ!!」
「大丈夫か?ハーレイ」
「うう……悪ぃ……」
リックは差し伸べられた青年の手を掴んだ。
足を床から抜きやすいよう、腰も支えて引っ張り上げてくれた。リックはなんだか子供扱いされたような気分になり、少し赤面した。幸い、捻挫などはしていないようだ。
「他のやつもハマりそうだよな、この床……」
リックは先ほど自分が破壊した床の穴をしげしげと見つめた。
「そうだなあ。おれが司令官に伝えてくるよ。軽くでもいいから補修しないと危険だからな」
青年は楽しかったよと軽く挨拶をして、司令官室の方へ向かって行った。
その背中を見送るリックは、頭の片隅でこういう奴には戦争で死んでほしくないな、とぼんやり思った。
彼はパイロットとしてではなく、雑務をこなす非戦闘員として配属されたらしいので、リック達パイロットと違って今日明日でいきなり命の危険に晒されることは少ないだろう。
もちろん人手不足になれば、彼も前線に出ることはあるかもしれないが。そうならないためにも自分達が頑張らないとな、とリックにしては珍しく気の引き締まる思いがしたのだった。
* * *

飛行機に乗れない日は、気分が最悪だ。
ロードは自室の机に足をのせて、ぼんやりと煙草を吸っていた。
今日は大規模な整備が行われているため、ただ乗れないだけなら良い。
しかし、ここぞとばかりに会議漬けでは気が滅入る。
司令官はやたら張り切っていたが、ロードからすればただ上からのノルマをこなそうとしているように見えてしまい、生産性がある提案には思えなかった。
無論、自分が立場のある人間だというのは理解しているつもりだ。
だがロードは、会議中の妙に気を使われているような空気が大の苦手だった。
自分のパイロットとしての実績故か、もしくは実家のことを知っているからなのか、機嫌を損ねまい、気に入られてやろうという魂胆が見え透いた発言をしてくるやつがたまにいる。
正規軍から離れてからは久しくなかったことだが、先日配属されてきた下士官だったか。ああいう態度を取られるのは対等ではないと見なされているようで、どうも気に食わない。
とはいえ、そういったことをいちいち訴えては会議は進まないのでロードはあえて無視をすることに決めていた。
実家とは縁を切ったつもりなのに、軍に身を置く以上はどうしてもその影は着いて回る。
ロードは軽く舌打ちをして、吸い終わった煙草を灰皿に押し付ける。
箱の中身を見ると、どうも次の一本で最後のようだ。消費するペースが早いのは、イラついている証拠だ。
ロードはため息をついて、最後の一本に火をつけた。
そこでふと、部屋のドアをトントン、とノックする音が聞こえた。
この基地でノックをきちんとする人間なぞ、片手に数えるほどしかいない。一瞬パードレかと思ったが彼はこの時間は熱心に自室の祭壇に祈りを捧げているはずだ。
ピロシキはどうせ飲んだくれてバーにいるだろうし、リックがノックなどするわけもない。(なんなら手でドアを開けるようなこともしない)
「開いている」
ロードが声をかけると、ドアの向こうから気の良さそうな青年が現れた。歳はロードより少し下くらいだろうか。
確か最近配属されてきた人物だったはずだ。ロードは他人にあまり興味がないので、彼の詳しいプロフィールまでは思い出せない。ハッキリしているのは、イギリス出身だったことくらいか。
「夜分にすみません。こちらの書類を司令官から渡すように頼まれたものですから……」
青年は申し訳なさそうに頭を下げて、書類を差し出してきた。ロードはそれを受け取る。
「そうか、ありがとう」
ロードが渡された書類を流し読みしていると、青年が「あの」と声をかけてくる。
「どうした?もう戻ってもいいぞ」
「あ、違うんです。少しお話がしたくて」
「……悪いがおれはそういうのは好きじゃない」
ロードはそっけなく言い放った。大体の人間はロードのこの態度で折れるのだが、何故か青年はどことなく嬉しそうだった。
訝しげな眼差しに気付いたのか、青年は慌てて訂正する。
「失礼しました、やっぱりハーレイが言ってた通りストイックな方なんだなと思って」
「……なんであいつの名前が出てくるんだ?」
ロードは心底嫌そうに聞いた。またリックが何か言いふらしたのだろうか。だとしたら全く傍迷惑な部下である。
「今日話す機会があったんです。大尉の部隊に所属だと聞いて……それにしても彼、楽しい人ですね」
「楽しい……?」
ロードの頭の中にリックの能天気なアホ面が浮かんだ。
婚約者にフラれた腹いせにわざわざヨーロッパまで来て、航空隊に入隊するようなやつだ。
あそこまで思い切りが良い性格をしていれば、人生楽しいだろうとは思う。真似をしたいといは思わないが。
「まあ、ものすごく良くいえばそういう側面もあるかもな……」
「でしょう。表情もコロコロ変わるし、みんなが構いたくなるのも分かるなあ」
「みんな?」
「ええ、今日も整備士の人たちとも仲良さげにしていましたよ。別に年下だからと舐めている訳じゃないですけど、やっぱり基地最年少……10代でしたっけ?とかになると、弟とか甥っ子みたいな気持ちで見ちゃうんでしょうね」
「……そういうものか」
「少なくとも自分は、という話ですけど」
「……」
この基地ではずっとそうだったはずなのに、今更だと思う。
しかし、新しく配属された人間の言葉だから、より客観的な事実を伝えている感じがするのだろうか。
「みんな」という言葉に何故か胸がざわつく感覚を覚える自分がいた。
青年はそんなロードの様子を見て、慌てたように言った。
「会議でお疲れだというのに、長々とお引き止めしてしまって申し訳ありません。そろそろ失礼します。」
青年はやたらと綺麗なフォームで敬礼をして、その場を去っていく。
ロードは遠ざかる青年の足音を聞きながら、そのまま立ち尽くしていたが、ジジ、という音が鼓膜を震わせる。
はっと自分の手元を見ると、ほとんど吸っていない煙草が燃え尽きそうになっていた。
思わず手を離すと、当然ながら煙草はぼとりと床に落ちてしまう。
見れば、ほとんど燃え滓に近いような状態だった。よく火傷をしなかったものである。
「……1本無駄にしたな」
ロードは憎々しげに呟き、煙草を踏んで火を消す。黒い煤がぐしゃりと床に広がった。

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