犬も食わない

今日のリチャード・ハーレイは機嫌が悪い。
ロードは目を通していた書類から、他人のベッドを占領し続けているリックに目をやった。
十数分ほど前に珍しく無言で乗り込んできたと思ったら、いきなりベッドに寝転び、枕に顔を埋めてじっとしている。見兼ねて「勝手にベッドに上がるな」と諭しても「うるせぇ」とあまり覇気のない返事が返ってくるばかりだ。
腹でも痛いのかと思ったが、こいつの場合は本当に調子が悪ければもっとわかりやすいリアクションをするだろう。それに加えて今朝の哨戒飛行にも参加していたことから、ロードは体調不良の可能性を脳内から排除した。
「おまえ、機嫌でも悪いのか」
ロードの声にぴくりと反応したリックは顔を上げてジトっとした目つきでこちらを睨んだ。
「……そうだって言ったら?」
どうやら当たりらしい。こちらに原因があると言いたげな眼差しだったが、残念ながら心当たりがない。
ロードはため息をついて、リックの足元近くに腰掛ける。使い古した木製のベッドがギシリと大袈裟な音を立てた。
「悪いがおれは察しが良くないんでな。言われなくちゃわからん」
「…………」
ロードはあえてリックの方を見なかったが、しばらくしてから衣擦れの音と共にもぞ、と起き上がる気配がした。それとほぼ同時に、リックが不満げな声を上げる。
「おまえマジで心当たりねえってのかよ」
「一切ない」
間髪入れずにロードが答えたが、リックは納得がいっていないようだ。大袈裟にため息を吐いたあとボソリと言った。
「……香水」
「は?」
なんのことを言われているのかさっぱり分からない。香水なんて小洒落たものを身に纏った覚えはロードにはない。無論、平時であれば身だしなみの一環としてつけることもあったかもしれないが、ここは戦場だ。それにロード本人としてもそこまで好むものではなかった。なんなら飛行機の燃料であるガソリンやらの潤滑油の匂いの方が落ち着くくらいだ。
「おれはそんなものをつけた覚えはないが」
「ったくちげーよ!!お前一昨日くらいにお偉いさんと食事に行くとかで夜遅くに帰ってきただろ」
「……確かにそうだったな」
その話を聞いた瞬間、ロードの目が暗くなった。
義勇軍にヴィクトリア・クロスを受勲した優秀なパイロットがいるらしい、と嗅ぎつけた上層部の人間がいた。
そのやんごとなきご身分の方から「この付近を訪れるついでに会食をしたい」という申し出が直々にあった、と司令官に呼び出しをくらったのは確かに一昨日のことだ。ロードは激務を理由に抵抗を試みたが、立場上それが許されるはずもなく、渋々と出かけることとなった。
忌々しい出来事すぎたためか、基地に戻った瞬間に記憶の中から消してしまっていた。
しかしその出来事がリックの機嫌がよろしくない原因となっているようである。全く持って迷惑な話だとロードは顔を顰めた。
「お前はその時酒が入ってたから覚えてないかもしんねえけど……スッゲー女物の香水臭かったぞ」
リックはそこまで言って、フイとそっぽを向く。
「……ほう」
ようやくリックが言いたいことが見えてきた。要するに夜遅くに基地に戻ってきたロードが、女物の香水の匂いを纏っていたため、出先で女とよろしくやっていたのではないかと疑っているのだ。
ロードのいない方向を向いているので表情は見えないが、リック自身もだいぶ恥ずかしいことを聞こうとしている自覚があるらしい。耳が赤く染まっているのが見えた。
一昨日の出来事であるから、おそらくどう聞いたものかと丸一日悶々としていたのだろう。
いつも無遠慮にこちらのプライベートに入り込んでくるくせに、たまに妙な気遣いを見せてくる。リックがこういう態度だとロードも調子が狂うのでやめて欲しかった。
「つまりお前はおれが浮気をしたんじゃないか、と考えているわけだ」
「う、浮気って別にそんなんじゃ」
「何が違うんだ。おれがゆきずりの娼婦か何かと性行為にでも及んだんじゃないかと心配してるんだろうが」
「せっ……」
ロードのあまりにもあけすけな物言いにリックは絶句した。
「そそそそそんなことハッキリいうやつがいるかバカ!!」
リックは持っていた枕を思い切りロードに投げつける。
しかしロードは上半身の動きだけで華麗にかわしてみせた。
投げつけられた枕は壁に当たることもなく、ヘニャヘニャと情けない軌道を描いて床に落ちる。パサリと虚しい音だけが響いた。
「テメェなに避けてんだよ!!そこは当たったとけよ!!」
リックは思わずロードの胸ぐらを掴んだ。相変わらず顔は茹でタコ並みに真っ赤である。
「わざわざ理不尽な暴力を受け入れる趣味はない。そもそも濡れ衣だからな」
フンとロードは鼻を鳴らす。リックのヘナチョコなコントロールに当たるようでは人類の恥である。
「ハッキリ言っておくが」
ロードは己の胸ぐらを掴むリックの手首に手を重ねた。リックが一瞬、びくりと反応する。
「な、なんだよ」
「お前が想像しているようなことは一つもなかった」
「ほんとか?」
リックは唇をとがらせ、拗ねた子どものような表情をしてロードを見上げている。歳は19だと聞いていたが、こういう表情をすると年齢よりもさらに幼く見える気がした。
「まあ確かに、会食の席には女給もいたからな。彼女らがつけていた香水の匂いがうつったんだろう」
「……信じるからな?」
ちなみに、この話は半分嘘で半分真実だ。
確かにあの場に女給はいたが、ただの女給では無かったことは服装や雰囲気などでなんとなく察していた。
直接確認するようなことはしていないが、恐らくあの場にいたのは高級娼婦だろう。むさ苦しい男だらけの場所にいては色々と欲求不満になっているだろうと、先方がわざわざ用意したらしい。大きなお世話というのはああいうことをいうのだ。
ロードは終始気づかないフリをして、食事が終わり次第さっさと帰ったが、彼女らが体に振りまいていた香水の匂いはどうにもならなかったらしい。脳裏に彼女らが身に纏っていたドレスの煌めきがちらつく。男の興味を引くためとはいえ、ああいった光り物を身につけていてよく眩しくならないなと感心するばかりである。
ロードはあえてその事には言及せず、しれっと返事をする。
「それでいい。あとついでに手を離してくれ。シャツが伸びるんでな」
リックは少々不満げな様子ではあったものの渋々シャツを掴む手を離した。
そのあとすぐに肩口に頭を預けてくきたので、ロードは少しため息をついてリックの腕の下から手を回してやる。
自然と抱き止める形となった。
「ところで、おれが万が一そういう事をしていたらどうするつもりだったんだ」
「テメーが二日酔いで死んでるうちにキャメルで出撃してやろうと思ってた」
「人の愛機を寝取ろうとするんじゃない」
彼は一度スパッドを勝手に拝借して一騎打ちに挑んだ前科があるので、本当にやりかねない。
「嫌なら浮気すんなよな」
「……するわけないだろ」
ロードの呟きに、腕の中のリックがどう思ったかは知る由もない。しかしそれは、心からの言葉だった。

* * *

今回の一件で、ロードはリックに対して隠し事をしないという誓いを立てさせられた。
ロードは承諾したが、一つだけリックに隠していることがある。
リックが部屋に来るとわかっている日は必ずタバコを吸うようにしている、というものだ。
もちろん理由があってのことだが、それはまた別の話である。


嫉妬するリックが見たくて書いたものになります(自給自足)。
今までのやつよりはナチュラルに付き合っている前提で書いたのですが、イチャイチャさせるの難しいと痛感しました。
この話は何回も書き直してなかなか仕上がらなかったものなので、どうにかアップできて良かったです。考えていたよりもあまずっぺえ感じになって若干恥ずかしいです。
今度はロードが嫉妬するやつ書きたいね…。

23.05.14記